セガ・エンタープライゼスSEGA SATURN
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簡単な概要です。
SEGA セガサターンは1994年に発売されたゲーム機です。
当時の価格は44,800円。
累計販売台数は日本国内で580万台、
全世界で876万台も売り上げる製品でございます。
売れなかったといわれる割には健闘していますね。
というか、値段高いっす。
皆様ご存知のスペックを記載していきます。
CPUは日立 SH-2 28.64Mhz x2
サウンド用にMC68EC000(11.3Mhz)
RAMは2MB
VRAMは1.5MB、
CD-ROMドライブ(2倍速)
制御チップにSH-1(SH7034 20Mhz)
と、かなり高性能です。
とにかく、当時としては斬新なメインCPUがデュアルCPUだったり、
何かと制御用のCPU・LSIを積んでいるので、
コストが高くなり、小型化も困難という難点もありました。
これに反省し、ドリームキャストではだいぶ汎用性のある筐体になっていますね。
かっこいい黒サターン。
プレステは何かとバリエーションが豊富ですが、
SEGA SATURNも何気にバリエーションは豊富です。
白サターンという目に見える変化もありますし、
ビクターのVサターンや日立のHiサターン。
更には、Hiサターンカーナビや通信カラオケに入ってるPrologue21とか。
そんな大きな違いもあるのですが、
このHST-3210はセガ・サターンとしては2世代目。
黒サターンの後期モデルとなり、消費電力が15Wから12Wになっているものです。
サターンはとにかくピックアップレンズ周りが壊れやすい。
うちのサターンも読み込みがかなり怪しくなってまいりました。
カートリッジ差込口。
ここにパワーメモリ(データを保存する装置)や、拡張メモリを挿すことができます。
なお、使用上はカートリッジでゲームを動かすことも可能らしいですが、
結局日の目を見る事はありませんでしたね。
ここの接触が悪くなるのがサターンユーザーにとっては悩みの種。
サターンのAV端子は丸型。
台湾製なのです。
なお、前期モデルは日本製でした。
嬉しい拡張端子。
カードをさすことにより、
フォトCDやビデオCDを再生出来ます。
なお、ボタン電池(CR-2032)により、
BIOSの設定保持や256Kビットのバックアップとして稼働します。
気がついた時には電池が消耗するのです。
何故か持ってたマニュアル
プレステでは捨てた、
2D機能を搭載しているので、
コストが高くなったという説も。
ハードディスクドライブって結局登場したんですかね?
キーボードとFDDは見たことがありますが。
大抵、
起動するとこの画面になります。
さようなら、本体の内蔵メモリ・・・
かっこいい起動画面
中古セガサターンハードセガサターン本体
駿河屋へ
コメント
セガハード最大の失敗作 セガサターンの失敗の要因。
日本では序盤から中盤戦にかけては好調だったが、海外市場では日本より最悪な結果となった。
セガ・オブ・アメリカと欧州市場ではサターンではなく、メガドライブを強引に32bitのゲームマシンに増強させる周辺機器「スーパー32X」を支持しており、サターンを支持する日本のセガと32Xを支持する海外のセガ(北米・欧州)と両者の意見が食い違った形でスーパー32Xとセガサターンが両方とも開発された。そのため、海外ではスーパー32Xをアッサリ切り捨て、日本市場では好調だったセガサターンをアメリカで1995年5月、欧州で1995年7月に強行的に発売した事と、何よりも海外市場では人気を得ていたセガのドル箱といえる「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の新作をセガサターンで発売しなかった事も要因であった。 スーパー32Xは悪くはないが、セガの発売の戦略ミスが仇となっていたかも…。
セガサターンは日本ではだいぶ好調でしたからね。
スーパー32Xとサターンという展開は確かに、迷走といっていい展開ですが、
そこら辺がまた、セガらしいのです。
末期の失速ぶりは記憶に残っておりますが、
それでも、魅力的なソフトが多かったので、後世には残りますね。
元々、セガがソニックを捨てて、ペパルーチョをセガサターンのマスコットキャラにしようとしたのがそもそもセガの悪い癖。ソニックはセガにとっての命綱でもあり、セガのマスコットキャラクターでもあり、海外では凄く有名になったほどの人気キャラなのだ。 という事もあって海外のセガユザーはサターンにソニックの新作が1つもない事もあって、海外のセガユーザーは激怒、「なんで、サターンにソニックの新作を出さず、あんな金色のヒゲ騎士をマスコットキャラにするんだ! セガは俺たちのソニックを捨てた!!!」という批判がゴウゴウと来てしまう…。セガはセガサターンの後継機ハード「ドリームキャスト」でようやく、反省し、「ソニックアドベンチャー」を発売した…。 やはりセガと言ったらペパルーチョじゃなくて普通はソニックでしょう…。
ペパルーチョもプレイ動画を見てみるとなかなかおもしろそうなんですよね。
一応、ソニックRが発売されたりはしておりますが、
確かに、最初からソニックが出ていればもう少し変わったのかもしれません。
その方針がセガらしいといえばらしいですがね。
たまにはアレックスキッドの事も思い出してあげてもいいかもしれません。
1997年1月23日、日本ではSCE、海外では任天堂にシェアも利益もズタズタに切り裂かれたセガ、そしてにシェアも利益も切り裂けられたキャラクター玩具頼みのバンダイ。この当時のセガもバンダイもどうしようない程の経営が悪化しており、セガは苦渋の決断としてバンダイと合併し、社名を「セガバンダイ」として再出発する方針で切り替えようとする。しかし、村上克司等を初めとする旧来のバンダイのスタッフはこの合併に強く反対していた事、バンダイがたまごっちでバカ売れしていた事でこの方針は破断となったが…、後のセガとバンダイが更なる地獄を苦しむ末路(セガは最終兵器「ドリームキャスト」で任天堂やSCEに立ち向かう物の敗北、バンダイは第1次たまごっちのブームの終息によって1999年3月期では単独決算、連結決算等が赤字地獄になる始末)を考えてみれば、1997年〜98年時点でセガとバンダイは合併するべきだったのは…? そうすれば、セガがサミーやバンダイがナムコと合併する事はなかったのでは!?
セガバンダイは当時、かなり話題になりましたね。
ただ、たまごっちは売れた割には利益が猛烈に薄かったことや、
ピピンの失敗を見るに、
逆にくっつくと酷い末路になっていたような気がしないでも無いです。
時代と運が悪かったのかもしれませんね