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サラネ>サラネ20年史/2002〜2003年頃の状況/05

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サラネと私
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サラネ20周年特別企画

サラネ20年史
-2002〜2003年頃の状況-

2000年4月に突如誕生したsara-net(当時はサラス@のページ)。
2020年に20年を迎えるにあたり、
ちょっと振り返ってみようと思い立ったのでございます。

この記事はかなりの「シラネーヨ」と黒歴史を含みます。
従来のサラネでは文章量を極限まで短くしておりますが、
長文だった頃よくご指摘を受けていたからでございます。
昔で言うところの「痛い」内容です。

作者は現在うつ病の治療中です。
正常な判断が出来ないどころかクスリでだいぶラリっています。
ああ、こいつは残念なおっさんなんだなと思って多めに、遠巻きに見てあげてください

以前連載していたツクールと私とリンクしている部分も多々あります。
暇であればこちらの一連の連載も併せてお読みください。

現在進行形の迷走

サラネは中身がないままリニューアルを繰り返していきます。
そして、中身がないのに当時流行していたテキストサイトに舵を切り始めます。
面白さもカリスマ性もなにもないので、
語尾を変えてみるという迷走期。
中学生というよりも凡人以下の私の限界でございました。
「ハイパーテキストサイト」というのも、
ネーミングセンスの墓場みたいな感じでございます。

今も昔も趣味と直結したサラネでございますので、
デジカメを駆使した熱帯魚のページがオープンしております。
写真は見るに堪えない状況ですが・・・

方向性がない時代のサラネは迷走がテーマのような状況になっており、
それは現在進行形でございます。、
余談ですが、この当時のサラネのUIは今の自分から見ても感心できるものでございますので、
何でそちらの方向を極めなかったのかと無念極まりないですね。

発展途上だったインターネット

2002年頃に引っ越しをし、
回線をダイヤルアップからISDNにしました。
56kbpsから64kbsになり、
今であれば誤差ほどの差であれだいぶ高速になりました。
当時は接続するスピードが非常に速くなったことに驚きましたね。
しかし、テキストメインのサイトが多い当時、
インターネットとデジタルカメラの普及ペースが上がったことに加え、
数多く出回っていたMIDI(懐かしい響きです)のダウンロードなど、
次第にISDNといえど速度に不満が出てきました。
当時は回線料金が安いという理由でわざわざPHS回線でインターネットをしている方も多く、
更にはドリームキャストでネットやってますという人もいた時代でございます。
ISDNで不満をもつのは贅沢の極みでございましたが、
料金が殆ど変わらないと親を説得し、
翌年丁度普及してきたADSLに乗り換えました。
初期の1.5Mbpsでございましたが、インターネットが別世界に変貌するぐらい高速回線で感動した記憶があります。
数年後、現在に至る光ファイバーにしましたが、
正直、そこまでの感動はありませんでしたね。
慣れとは怖いものです。
回線速度が速くなってくると見るサイトも変わり、
サラネも写真コンテンツが増加していきます。


システムの限界

HTMLはだいぶ組めるようになってきた当時。
高速回線にした事で写真をメインにしつつも、
画像ファイルは■の中のリンクに埋め込んで低速回線にも配慮する気配りでございます。
見た目はブログになってきておりますが、
オールHTMLの手動更新という効率の悪さ。
当時は、ブログのシステムを理解していなかったので、
このようなレイアウトをみな手動でやっていると勘違いしていたのでございます。
なんとも恐ろしいことです。
当然このような形態は非常に負担が大きく、
中身がないサイトといえど無理が生じてきます。
ファイルサイズも肥大化し、
ソースコードも膨大になり、どこか間違えると一気にレイアウトが崩れるような状況。
そしてサーバーも旧式のものでCGIしか動かない。
後に決断を迫られることになります。

執筆日:2020/03/16

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