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サラネ>サラネ20年史/サラネ誕生前夜/01

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サラネと私
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サラネ20周年特別企画

サラネ20年史
-サラネ誕生前夜-

2000年4月に突如誕生したsara-net(当時はサラス@のページ)。
2020年に20年を迎えるにあたり、
ちょっと振り返ってみようと思い立ったのでございます。

この記事はかなりの「シラネーヨ」と黒歴史を含みます。
従来のサラネでは文章量を極限まで短くしておりますが、
長文だった頃よくご指摘を受けていたからでございます。
昔で言うところの「痛い」内容です。

作者は現在うつ病の治療中です。
正常な判断が出来ないどころかクスリでだいぶラリっています。
ああ、こいつは残念なおっさんなんだなと思って多めに、遠巻きに見てあげてください

以前連載していたツクールと私とリンクしている部分も多々あります。
暇であればこちらの一連の連載も併せてお読みください。

サラネが出来るまで

ホームページを作りたい。
そう思うようになったのはいつのことだったのでしょうか。
まだインターネットのイの字も知らなかった90年代中盤。
おそらく今であれば「ADHD」、「発達障害」、「アスペルガー症候群」など、
その辺りの病名が付いてきそうな当時の自分は、
周りに溶け込めず浮いた状態でございました。
高校生ぐらいまで継続的にいじめを受けているような私はどちらかというと一人で遊ぶことが多かったように思えます。

今日のサラネでは嘘のような現状ではございますが、
当時は家庭の方針でテレビゲームの導入も遅く、
しかも厳密にゲームは1日1時間と決まっていたということもあり、
悶々とした日々を過ごしておりました。
ゲームに関しても高いソフトは買えず、
ワゴンセールの安いゲームをむさぼるようにプレイしていた為
クラスの輪に入ることも出来ずでございましたが、
ツクールの導入でだいぶ事態は変化していくのでございます。
それについては前述したツクールと私に書いておりますので割愛させていただきます。

マックスコミック

その当時の私の異常行動。
というよりも、小学生という人種はは何かに打ち込むとかなりのめり込んでしまうものでございまして、
小学校2年生から6年生まで、
今で言う同人誌といってもいい漫画雑誌、「マックスコミック」を刊行します。
刊行します。といっても一人遊びの範疇でございまして、
自由帳で書き殴った漫画やゲーム情報を一人で書いて20ページほどにして、
ホッチキスでとめるだけの代物でございます。
その緩さと、4年間で300巻足らずのボリュームに増大していったという点は、
現在のsara-netの原点になったといっても過言ではありません。
それを専用の段ボールを作って解放していたわけですが、
相手も自分も小学生でございますので破られたりバラバラにされたりなど熾烈な扱いをされつつも、
意外と読んでくれるという結果に個人的には大いなる満足感を感じた記憶がございます。
時代は進み、インターネットが自分の耳に入ってくると同時に、
マックスコミックをインターネットでやりたいという欲が強まってくるのでございます。
そして、その当時はまりにはまっていたツクールのゲームを公開したいという欲も・・・

余談ですが、そのマックスコミック。
完全に黒歴史でございますので、
中学生時代に全部処分いたしました。
余談ですが、サラネでよく登場する三角形の物体は、。
その雑誌内の「りそうな車」という漫画のキャラクターでございます。

オタク化していく自分

これに関してはツクールと私の2回目でも書きましたので、
併せてご覧ください、

小学校にパソコンがやってきたのは2年生ぐらいの頃。
古い校舎に相当なお金をかけてコンピューター室を作ったはいいものの、
入ってきたパソコンはハードディスクが内蔵されていないFM-TOWNSでございました。
キーボードの配列も異なる独自アーキテクチャーのため、
タウンズのソフトを動かす程度の環境。
そして、キーボードは一度も使わずマウスオペレーションのソフトしか使わないというちょっともったいない小学校生活でございました。

パソコンの入手より先にツクールにのめり込んだ私。
ゲームは1日1時間は建前になってきた為、
1日中ツクールという不健全な生活を送っておりました。
姉には甘い家庭環境だっただめ、
姉名義のスーパーファミコンやプレイステーションが導入されると、
どんどんと次世代機の虜になっていく私。
インターネットが未発達のゲーム情報はファミ通やコロコロなどでございましたが、
家庭の事情でコロコロコミックは別冊をたまに買ってもらえるぐらいだったのですが、
何故かファミ通ブロスは買ってもらえたのでどんどんとオタク化していきます。

ファミ通ブロス

ファミ通の姉妹紙の月刊誌。
ファミ通譲りのゲーム情報も盛りだくさんですが、
ずっしりした厚みに大量の漫画が掲載されているなど、
ファミ通とは毛色が全く違う雑誌。
女神転生やテイルズオブディスティニーなどゲーム寄りの連載もある一方、
マクドナルドとコラボした探偵物や柴田亜美氏の「ジバク君」、天からトルテなど、
多種多彩、悪く言えばターゲットの定まらない雑誌で結局廃刊となってしまいました。

ファミ通ブロスを愛読し、
持っていないゲームについて詳しくなっていく小学生時代の私。
そんなファミ通ブロスのショップが秋葉原にあるらしいという記事をよみ、
秋葉原に行くようになります。
その当時埼玉県は与野市に住んでいた私は、
電車で30分の秋葉原に半ば通うというペースで入り浸る生活になっていくのでございます。

当時の秋葉原はまさに電気街という感じで、
第一家電、サトームセン、石丸電気、ナカウラ、ロケット、オノデンなど、
様々な電気屋さんがひしめき合っておりました。
ヨドバシカメラは当然無く、
反対側はなにがあったのか思い出せないぐらい。
駅前にはバスケットコートがあり、そこら中にソフマップがあったという時代でございます。
現在ケンタッキーがあったところにナカウラがあり、
そこに当時としても古いパソコン達が稼働状態で並んでいたり、
絶対に会議室だっただろというスペースにゲームコーナーがある建物があったりしましたね。

地元のドキドキ冒険島や桃太郎といった大手ゲームショップでは見たことのないゲームや周辺機器、
改造キットや海賊版のソフトなどがあり、
その当時の秋葉原はお行儀の良い現在の形だけの秋葉原とは全く違った魅力がありました。
ちなみに、その時期に購入したアイテムで思い出深いのは緑色のコントローラーでございました。

今では信じられない事ですが、
新品のマザー2やポケモンスナップなどが1000円で買えたのも、
秋葉原ならでわでしたね。
秋葉原に行かなければ私自身のゲームライフはもっと狭まっておりました。
人生で大切なことは全て秋葉原から学んだ。
と言うぐらいオタク化していく私は、
どんどん学校で浮いていく存在となっていくのです。
次回に続きます。

執筆日:2020/03/16

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